2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧
ここは「そして」の流れで「それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17:19)と告げ、この場面を終わります。復活は、神がイエスを起こすこと、としてしばしば扱われますが、自ら立ち上がる語が…
次は「そして」ではありません。このことは注意すべき、特別な流れの中で現れて出来事でした。状況からの自然な流れではありませんでした。イエスはこの事態に、敢えて口にしたのです。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。こ…
ここで、「ところが」の感じが入ります。訳出しなくてもよいのは確かですが、されていないのはちょっと惜しいところです。ここだけが、やや意外な展開になっていることがはっきりするからです。「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛…
まだ「そして」の連続の中で、「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた」(ルカ17:14)と、事が運びます。これは病気を治すということが主眼でなく、明ら…
話の流れは「そして」でスムーズに流れて行きます。「ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った」(ルカ17:12-13)とある…
教えというよりも、出来事にまつわるエピソードに移るために、ルカはまた場面を設定します。なんだかまた故郷に近いところに戻ってきてしまったような印象すら与えますが、「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」(ルカ17:11)と…
最後に「このようにして」という語でつながれて、「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」(ルカ17:10)とこの一連の発言が結ばれます。…
そこで、また話題が転じます。ルカの執筆への焦りすら感じます。「あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をして…
また、イエスのことを「主」と呼ぶのは今ではあまりにも普通になっているので私たちは感じませんが、福音書の中では強烈にルカ独特の態度です。ルカの視点が私たちと近いことを示しているとも言えるでしょう。イエスは「もしあなたがたにからし種一粒ほどの…
ここで「そして」の語により話を受け継ぎつつ、「使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた」(ルカ17:5-6)と信仰の問題に踏み込みます。いろいろ盛り込もうとするせいかもしれませんが、唐突なように見えなくもありませ…
ルカにとり、何か教会内での罪の問題が気になっていたのでしょう。それをできるならば許してやるべきだと考えていたものと思われます。罪が共同体の中で生じたとします。そのときには、それを非難し、叱責することが必要だとしています。「戒めなさい」はそ…
イエスは続いて、今度は弟子たちに向けて言います。これは教会の者、信徒たちへのメッセージです。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である」(ルカ17:1)から始まるエピソードは、マルコやマタイにもあるものです。マルコをそのまま写…
そこで金持ちは、兄弟たちのために執り成しをしようとします。「父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください」(ル…
金持ちである故に、だめなのでしょうか。価値観の逆転は、金持ちというだけでだめだとするのでしょうか。いえ、先に申しましたように、この金持ちは「ラザロ」を十分よく知りつつも助けなかった点を踏まえている必要があるはずです。でないと、単に金持ちは…
コロンボは、思わず証拠をしゃべってしまった容疑者を前に、しばし時を止め、じっと目を見つめて、静かに、「あなた確かに言いましたね」と問い直しました。周囲にいる警官その他の人々に、「確かに聞きましたね」と確認もしました。この間があってから、そ…
ところで、この金持ちの願いの中に、私はしかし、重要な一言を見いだします。これは、私の知る限り、指摘している人は見当たりません。それは、「ラザロをよこして」(ルカ16:24)という点です。はっきり彼は口にしています。「ラザロ」と。これはギリシア語で…
金持ちはアブラハムに向けて叫びます。こちらに注目してください。今まで現世で自分の言うことは、あるいは言わないことまでも、召使いなどに悟らせて楽をしてきた金持ちです。まさか大声で叫ばなければ自分の要求が聞かれないばかりか、存在さえ認められな…
さて、こういうことが起こりました、とルカは筆を改めます。事態が全く変貌したのです。「やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた」(ルカ16:22)のでした。神の友アブラハム…
また、「貧しい人」と現代風にぼかしてありますが、この後の状況を考えてもまた、これははっきり「乞食」です。今この言葉を使うのは社会的状況からして困難がありますが、昔の文献を読み解くのに、そんな言葉狩りをすると大切なものを見失います。金持ちの…
これとは対照的に、「この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた」(ルカ16:20-21)という情景が描かれます。まさに対比のため…
唐突に、新しい物語が始まります。それは、ここまでの話の続きであるということです。ルカにしては珍しく何の工夫も見られないところを見ると、これはこのまま完成したイエスによる語りであったのではないかと思いたくなります。しかし、マルコにもマタイに…
そんな事態に対して、極端なことを言ってみよう、とイエスがもちだすのが、まず「しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい」(ルカ16:17)という例でした。マタイの表現は、若干異なりますから、文言がそのまま同一のものとして…
ここでマタイにも類似のものがあることを思い起こすフレーズです。「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている」(ルカ16:16)とありますが、マタイもほぼ同じことを言っていまし…
ですから話の流れは、富を単純に手段とできない勢力との対立に結びつきます。「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った」(ルカ16:14)のでした。話の展開がうまく補足されています。富が悪者であるかのように聞こえたの…
そして、という流れで「また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか」(ルカ16:12)とあるように、少し角度を換えて告げられますが、内実は前節と同様と思われます。他人のもの、というのは友のもの、という感覚も…
ここではそうしたものは目的でなく、手段に過ぎないと言っているように聞こえます。目的はむしろ友です。富で測れないものです。私は、富を小さな事と理解はしません。富を手段として友を目的とする方向性を守ることを、小さな事だと捉えました。しかし「だ…
この世で友だちを作れと命じています。富は不正なものに過ぎないが、富を利用して友を作れ、といいますから日本語では洒落のようでもあります。その富が朽ちたとき、アイオーンの住まいにその友は受け容れてくれることだろう。アイオーンを新共同訳は「永遠…
主人の見立てはまずこうでした。「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」(ルカ16:8)と。この管理人は、そのしたことは一面において確かに「不正」でした。しかし、価値観は地上と天上とでは異なります。人の目と主の目と…
これは不正です。しかし、正義となる可能性もあります。法外に高い率で巻き上げられている人々のための、その率を下げるとなると、いわゆる義賊めいた人気を得るかもしれません。私たちもまた、現代社会でその悩みに遭遇します。法を守ることは市民の義務で…
ひとつやってうまく話が進んだら、それだけで再就職が得られたもの、と安んじてはいられません。「また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直し…